
Minor Threatの「Screaming at a Wall」は、1981年6月に出た最初の七インチ収録曲だ。Dischordの最初のMinor Threat盤に入っている六曲のうちの一つで、のちに『First 2 7″s』にも入る。Ian MacKayeは2003年のインタビューで、最初のシングルの曲はほとんど自分が書き、その中に「Straightedge」「Filler」「Screaming at a Wall」が入ると話している。Brian Bakerは2010年のインタビューで、Minor Threatでいちばん好きな曲は「Screaming at a Wall」だと答え、自分はこの曲には何もしていないとも話している。
この曲について、IanやBrianが曲名を出して歌詞の各行を説明した発言は、今確認できていない。誰に向けた曲か、壁が誰を指すか、「I don’t want to have to use my hands」と「Someday I’m gonna use my hands」がどの出来事をそのまま指すか、その説明も出ていない。いま残っているのは、曲の作者の比重、曲が置かれていた時期の人間関係、周辺環境、最初期Minor Threatの具体だ。
Minor Threatは1980年末に動き始めた。IanとJeff NelsonはTeen IdlesのあとにDischordを始め、Lyle Preslarがギターに入り、Brian Bakerがベースに入った。Ianは自分が十八歳、Brianは十四歳か十五歳、Lyleは十六歳か十七歳だったと話している。Brianは高校生で、まだかなり小柄だった。Life of the RecordでIanは、最初の八曲入り七インチには全部に自分が関わっていて、半分くらいは自分一人で書いたと話している。八曲入り七インチの時点で、LyleとBrianはまだGeorgetown Day Schoolに通っていて、学校での揉め事を練習に持ち込み、HenryとIanは自分たちについての悪口を聞いて腹を立てていたとも話している。
この時期の周辺には、実際の対立がかなりある。IanはPunkfest CornellでもTrap Setでも、十三歳の時にHenry Rollinsに壁へ投げつけられたと話している。Henryとはそのあとスケートボードを通じて友人になったが、最初の関係にはそういう衝突があった。Life of the Recordでは、HenryとIanは学校側から聞こえてくる悪口に腹を立てていたと話している。最初の八曲入り七インチは、そういう人間関係の中で作られていた。
Ianが育ったGlover Parkの話も残っている。Ianは自分が生後六か月の時に家族でGlover Parkへ移ったと話している。もともとの近所では自宅への侵入と祖母への暴行があり、家族はそこを離れた。Glover ParkはGeorgetownの北側にある地域で、当時はK Street沿いの工場で働く人が多く住んでいた。イタリア系、アイルランド系カトリック、West Virginiaから来た人たちが多かったとも話している。Ianはその場所を、荒い子どもや変わった連中が多い場所として話している。危ない通りがあり、Henryと一緒に歩く数ブロックはかなり危なかったとも話している。子ども時代の周囲には、そういう環境があった。
酒と薬の話も、この時期の発言としてかなり具体的だ。Ianは十二歳で酒を口にしたが自分には合わなかったと話している。Palo Altoに九か月いたあとワシントンに戻ると、友人たちは十一歳、十二歳、十三歳で大麻を吸い始め、戻った時には飲酒と大麻の側へ進んでいたとも話している。Punkfest Cornellでは、Glover Parkで夜中に公園のベンチに集まり、強い酒を回し飲みし、潰れた者を残して泳ぎに行くような場面があったと話している。高校では、そのことでからかわれたとも話している。別の発言では、高校の友人が学校で吐き、意識を失い、起こせない状態になったことも話している。Trap Setでは、Jimi Hendrixを見た人たちが高すぎて何も覚えていないと言うのを聞き、自分は忘れない側でいたいと思ったとも話している。
高校の地下空間の話も残っている。IanはWilson High Schoolの地下にあったWilson Playersの部屋は、もともと射撃場で、ほぼ監督なしで使われていたと話している。そこには芸術系の連中、変わった連中、薬をやる連中、妙なやつらが集まっていたとも話している。高校で出た芝居では、二人の不良が言い争い、ぶつかり、最後には相手を殺す流れの役をやったとも話している。高校の地下にそういう空間があり、そこでの時間も過ごしていた。
Brian Bakerの側から見た最初期Minor Threatの具体も多い。BrianはMinor Threatに入った時、自分は酒も薬もやっておらず、ギター、スケートボード、BMXが生活の中心だったと話している。Minor Threatに入った時は本当に小さく、ほとんど思春期前のような体で、IanのTeen Idles時代のベースを借りていたとも話している。そのベースはFender Jazz Bassの複製で、壊れたペグの関係で三弦になっていた。最初のデモもその三弦ベースで録ったかもしれないと話している。Minor Threatの最初のEPは学校に持って行って売っていたとも話している。パンクではない年上の生徒から、こんなものは聴いたことがない、良いレコードだと言われたとも話している。
手作業の流通についても具体がある。IanはLife of the Recordで、Dischordの七インチは一万枚近く手作業でスリーヴを作ったと話している。Brianも、最初のEPの折りや糊付けはバンドメンバーだけではなく、家にいた友人たちも一緒にやっていたと話している。手に持って学校で売り、地元の店にも置き、家で折って糊付けした盤が、最初のMinor Threatだった。Brianはのちに自分の手元の盤色を見直し、青と黄は持っていたが赤は無かったので、Dischord HouseでIanに頼み、完璧な状態の赤盤をもらったとも話している。最初の七インチが何色で出たか、その盤自体も、本人たちの記憶の中に残っている。
最初期Minor Threatの空気について、Ianは別のところでも、自分が書く歌は自分がどう生きるかに関わる歌だったと話している。Logan Sounds Offでは「Straight Edge」についてそう話している。Brianは同じ時期のMinor Threatについて、それは大きな理念の話として始まったのではなく、最初はただ自分たちの曲の一つだったとも話している。Ianは最初の八曲入り七インチの半分くらいを自分一人で書いたと言い、Brianは「Screaming at a Wall」を最も好きなMinor Threat曲として挙げている。ここまでの発言を並べると、「Screaming at a Wall」は最初期Minor Threatの中でもIanの比重が強い曲で、その周囲には学校の揉め事、練習に持ち込まれる悪口、荒い地域環境、壁に投げつけられるような実際の衝突、未成年中心の手作業の現場がある。
Screaming at a Wall
I’m gonna knock it down
それをぶっ壊してやる
Any way that I can
どんな手段でも
I’m gonna scream, I’m gonna yell
俺は喚く、怒鳴る
I don’t want to have to use my hands
俺は手を下したくはない
It’s like screaming at a wall
壁に向かって叫んでいるようなものだ
Someday it’s gonna fall
いつかそれは崩れるだろう
You built that wall up around you
おまえは自分の周りに壁を築いた
And now you can’t see out
だから今、外が見えない
And you can’t hear my words
だからおまえは俺の言葉が聞こえない
No matter how loud I shout
どんなに大声で叫んでも
It’s like screaming at a wall
壁に向かって叫んでいるようなものだ
Someday it’s gonna fall
いつかそれは崩れるだろう
You’re safe inside and you know it
おまえは安全な場所にいて、それを知っている
‘Cause I can’t get to you
だっておまえに届かないから
And you know I resent it
そしておまえも知ってるだろう、俺がそれを恨んでいるって
And my temper grows
そして俺の怒りが募る
You better reinforce those walls
壁を補強したほうがいいぞ
Until you don’t have no room to stand
立つ場所すらなくなるまで
‘Cause someday the bricks are gonna fall
だっていつかレンガは崩れ落ちるから
Someday I’m gonna use my hands
いつか俺は手が出るぞ






