
RAGE AGAINST THE MACHINEのBorn As Ghostsを読む時、この曲をただ学校批判の歌として受け取るだけでは少し足りません。ここで描かれているのは、子供たちが生きた人間として育つ前に、土地の収奪、貧困、軍事化、教育の崩壊の中で、最初から見えない存在にされていく世界です。その景色をはっきりさせる土地が、メキシコ南部のチアパスでした。
チアパスは、先住民人口が多く、森林、農地、石油、水力資源を持ちながら、長く深い貧困の中に置かれてきた地域です。豊かな土地なのに、そこに暮らす人々の生活は守られない。そのねじれが、この土地の現実でした。RATMがチアパスに強く連帯したのも、遠い国の苦しみに目を向けたというだけの話ではありません。そこには、ザック・デ・ラ・ロッチャ自身の背景が深く重なっています。
ザックは、自分がチアパスの闘いに惹かれる理由は、自分の経験、ルーツ、家族にあると語っています。父ロベルト・ベト・デ・ラ・ロッチャは、ロサンゼルスのチカーノ・アート運動で重要な集団Los Fourの一員だった壁画家でした。チカーノという言葉には、アメリカで差別や疎外を経験しながら生きてきたメキシコ系の歴史と自己認識が含まれています。ザックは、父がアーティスト、労働者、反戦運動に関わるチカーノたちを結びつけようとしていたことが、自分を民族解放運動へ向かわせたとも話しています。さらに、革命に関わったのちにアメリカで長時間労働を強いられた祖父の経験を、サパティスタの証言の中に見ているとも語っていました。チアパスはザックにとって、他人の苦しみの話ではなく、自分の家族史とつながった問題だったわけです。
ザック自身の生い立ちも、この曲の感触を深くします。郊外ではメキシコ系であることで浮き、別の場所では話し方や育ち方でまた浮く。どこに行っても完全には受け入れられない感覚が、若い頃の彼にはありました。そうした居場所のなさは、Born As Ghostsのghostsという言葉に重なって見えます。ここで歌われている幽霊は、死者そのものというより、最初から人数に数えられず、声を持つ前に消されていく人間の姿です。

チアパスが世界的に注目された大きなきっかけは、1994年1月1日のサパティスタ蜂起でした。しかもその日はNAFTA発効の日でもありました。背景には、憲法27条の改正によって、革命の中で勝ち取られてきた土地分配の仕組みが後退し、共同体の土地が企業や市場の論理にさらされやすくなったことがあります。土地はただの財産ではありません。食べること、住むこと、共同体として生きること、そのすべての土台です。土地を奪われることは、生活の条件そのものを奪われることに近い。Born As Ghostsにある壁、警報、武装された空気は、こうした暮らしの破壊と重ねると、急に現実味を帯びてきます。

ここで重要なのが、サパティスモとネオサパティスモの違いです。サパティスモはもともと、メキシコ革命期のエミリアーノ・サパタに結びつく流れで、土地を農民へ返すこと、中央権力に奪われた生活の基盤を取り戻すことを重視していました。サパタの名とともに語られる土地と自由という感覚が、その中心にあります。これに対してネオサパティスモは、チアパスのEZLNが1990年代に打ち出した新しい実践で、土地の問題だけにとどまらず、先住民の自治、共同体による意思決定、新自由主義への抵抗、多様な人々が共存できる世界の模索まで含んでいます。民衆に従って統治するという考え方や、多くの世界が共存できる世界を目指すという発想は、その違いをよく表しています。つまり、サパティスタをただ昔ながらの農民反乱として見ると足りません。彼らは土地の防衛を出発点にしながら、国家や市場に従う以外の生き方、共同体の自治、教育や医療を自分たちで作り直す道まで模索していたからです。

この違いを踏まえると、RATMがチアパスに惹かれた理由も見えやすくなります。彼らが見ていたのは、単なる武装蜂起ではありません。長いあいだ押し込められてきた人々が、自分たちの土地、自分たちの言葉、自分たちの教育や暮らしを取り戻そうとする姿でした。だからメキシコシティでの声明でも、チアパスは資源に富みながら生活水準の低い土地だと説明され、そこにはいまの仕組みが差し出す貧しさをもう受け入れない人々がいると語られていました。彼らの言葉は、1994年1月1日に突然現れたものではなく、500年にわたる人間の尊厳の闘いの響きを持つものとして受け止められていました。
Born As Ghostsを考えるうえで決定的に重いのが、ザックが現地で見たものです。彼はサン・アンドレス交渉の場に立ち会い、ラ・ガルーチャの平和キャンプを訪れ、兵士による恐怖と威圧、家と畑のあいだに置かれた軍の基地、飢えと物資不足によって共同体をすり減らしていく低強度戦争を目撃したと語っています。さらに、兵士たちが畑を焼き払い、子供たちを学校から追い出し、その学校を兵舎に変えたとも証言しています。ここまで来ると、school as a tombという一節は、ただの強い比喩では済みません。学校が未来を育てる場所としてではなく、共同体を壊す戦争の一部として使われる。その現実が、すでに歌詞の奥に流れています。
One book and forty ghosts stuffed in a roomという一節も、同じように現実の重みを帯びます。ザックは別の取材で、チアパスでは医者より獣医のほうが多く、水力発電を大きく支えているのに家に電気のない人が多く、子供1000人に教師1人しかいないと語っています。こうした土地で、学校だけが未来の入口になるはずがありません。学ぶ権利そのものがやせ細った場所では、教室は自由への入口というより、欠乏の中で順応を強いられる場所へ近づいていきます。墓場のような学校という感覚は、未来を育てるはずの場が先に壊されている現実から出てきています。
しかもこの時代、教育の危機は農村だけの問題ではありませんでした。1999年にはメキシコ最大の公立大学で大幅な授業料値上げが打ち出され、長く守られてきた無償の公教育を壊すものとして大規模な学生ストライキへ発展しています。学生と労働者は街に出て、警察の弾圧の中で大学を占拠し、教育の権利を守ろうとしました。ネオサパティスモが大事なのは、こういう場面で見えてきます。戦うとは、ただ武器を持つことではなく、共同体の自治を守ること、教育を守ること、生活を自分たちの手に取り戻すことまで含んでいるからです。Born As Ghostsの息苦しさには、子供を型にはめる教育だけでなく、教育そのものが市場と国家の論理の中で削られていく時代の圧力も流れ込んでいます。
チアパスの現実をさらに広く見ると、1997年12月のアクテアル虐殺も無視できません。警告があったのに十分な対応が取られず、現地警察も虐殺を止めなかったと報告されています。静かな風景のすぐ裏側に、放置された暴力と見捨てられた共同体がある。この構図はBorn As Ghostsの不気味さとよく重なります。この曲の静けさは無音ではありません。押し殺された叫びの上に成り立つ静けさです。
さらに興味深いのは、ザックがチアパスでの経験を実際に曲作りへ持ち帰っていることです。彼は、現地での体験が自分の曲を書かせたと語っています。加えて、自由貿易協定と危機の中で、アメリカの人々もまた顔を失った存在のようになっているとも話していました。選択肢も可能性も失い、見えない存在にされていく感覚は、チアパスだけのものではないということです。Born As Ghostsのghostsも、そう考えると一地域の話を越えてきます。土地を奪われ、教育を削られ、声を持つ前に黙らされる人間全体へ向けられた言葉として響いてくるからです。
RATMが若い世代を見下していなかったことも、この曲を読むうえで重要です。彼らは、自分たちの音楽、映像、歌詞、インタビューを通して、アメリカの若者にサパティスタの経験を手の届くところへ置いてきたと語っています。そして、その音楽が橋になったとも言っています。Born As Ghostsは、絶望を並べて終わる歌ではありません。見えない存在にされている人々がいることを示し、その状態に言葉を与え、そこから別の現実へつなげようとする歌として読むと、この曲の輪郭はさらに鋭く見えてきます。
Born As Ghostsが暴いているのは、社会が子供たちを最初から見えない存在として扱う仕組みです。土地を奪う。貧困を固定する。学校を兵舎に変える。教育を削る。沈黙を覚えさせる。そうやって子供たちは未来を失う前に、存在感そのものを奪われていく。ghostsという言葉は、その状態をかなり正確に言い当てています。Born As Ghostsは、死んだように生きる子供たちを遠くから眺める歌ではありません。人間がどうやって生きたまま見えない存在にされていくのかを暴く歌です。サパティスモからネオサパティスモへと広がった思想まで重ねて読むと、その怒りは土地の問題だけにとどまらず、人間の尊厳そのものをめぐる怒りとして見えてきます。


