
Suicide Silenceの「Wake Up」は、ただ重くて勢いのあるSuicide Silence屈指の代表曲として聴くだけでも十分に成立する。けれど、この曲を本当に重要なものにしているのは、音の凶暴さだけではない。2012年11月1日、Mitch Luckerはバイク事故で28歳のままこの世を去った。それでもSuicide Silenceというバンドの歩みは止まらず、今も動き続けている。だからWake Upは、失われた歌声の記録としてだけではなく、Mitchがフロントマンとして一段前へ出て、バンドが次の段階へ踏み込もうとしていた瞬間を刻んだ曲として聴くべきだ。
その意味を考えるうえで外せないのが、『No Time to Bleed』が置かれていた2009年というタイミングだ。2007年の『The Cleansing』でSuicide Silenceは一気に頭角を現し、極端な音楽を鳴らす新しい世代の中でも特に強い存在感を持つバンドになった。ただ、その次に何を出すかはもっと重要だった。強烈な衝撃を与えた1作目のあとに出る2作目は、勢いだけのバンドで終わるのか、それとも自分たちの音をさらに大きく定義し直せるのかを決める作品になる。No Time to Bleedはまさにそこにあった。2009年4月にはすでにWake Upを含む新曲をライヴで前に出し、6月30日にアルバムをリリースし、初週で全米チャート32位に入った。Wake Upは、その2作目の入口として最初に鳴らされた曲だった。
だからこの曲は、ただアルバムの先頭に置かれたのではない。2作目の冒頭で、自分たちは前作の延長で暴れているだけではないと示す役割を背負っていた。実際、この時期のMitchはNo Time to Bleedを、それまででいちばん強い作品だとはっきり言っている。前作が短い期間でライヴ感を軸に録られたのに対し、今作はMachineと組んで、もっと大きなスケールで丁寧に作り込んだ作品だった。つまりWake Upは、Suicide Silenceが同じ場所に留まらず、一段上の密度と自信を持って戻ってきたことを最初の数分で証明する曲だったのである。
この時期のMitch Luckerを語るうえで、もう一つ大きいのが、彼が“deathcore”という言葉の中で自分たちが処理されることを強く嫌っていたことだ。彼は、自分たちを流行のサブジャンルの一部として見られるのではなく、ただ純粋に重いメタル・バンドとして受け取ってほしいと考えていた。No Time to Bleedをめぐる発言でも、その姿勢はかなりはっきりしている。バンドはジャンルの箱の外へ踏み出し、自分たち自身の音として成り立つ作品を作ろうとしていた。Wake Upが1曲目に置かれている意味はそこにある。この曲は人気曲である以前に、No Time to Bleed期のSuicide Silenceが何者であるかを最初に叩きつける曲だった。
歌詞の中心にあるのは、「Wake up, wake up」というあまりにも直接的な言葉だ。ただ、この曲ではその単純さこそが効いている。「This is no hallucination」「Do we still exist?」「I can’t see my face」と続く流れを見れば、ここで描かれているのは普通の目覚めではない。現実感が崩れ、自分の輪郭まで曖昧になった相手に向かって、目を覚ませと何度も叩きつける構図になっている。だからこの反復は、ライヴで盛り上がるためのフックであるだけではなく、錯乱した意識を現実へ引き戻そうとする行為そのものとして機能している。
この解釈を強くするのが、当時の曲説明とMVまわりの資料だ。Wake UpのMVは、hallucinogensの影響を含んだ内面の攪乱を描くものとして紹介されている。さらにメイキングでも、現場ではこの曲がdrug trip、しかもpsychedelic mushroomのイメージと結びついたものとして共有されていた。出演者側も、自分は若いジャンキー役で、「Wake up」と起こされる存在だと説明している。もちろん、メイキングの雑談だけで歌詞の意味を全部決めることはできない。ただ、歌詞、MV、撮影現場の説明が同じ方向を向いている以上、Wake Upを意識の混乱に沈んだ相手を現実へ引き戻そうとする曲として読むのはかなり筋が通っている。
ここでさらに大事なのは、No Time to Bleed期のMitchの書き方が、The Cleansingの頃とは少し変わっていたことだ。前作には、挑発や衝撃そのものを前面に押し出した曲が多かった。一方でNo Time to Bleedでは、Mitch自身が語っているように、内容は以前より個人的で、以前より成熟したものへ移っている。これは怒りがなくなったという意味ではない。怒りの使い方が変わったということだ。Wake Upも、相手を痛めつけるための曲ではない。崩れかけている相手に向かって、乱暴でもいいから目を覚ませと何度も迫る曲だ。そこにあるのは攻撃性だけではなく、焦りと切迫感である。この違いが、No Time to Bleed期のMitchを、ただ過激なフロントマンではなく、バンドの意味まで背負うボーカリストとして見せている。
その切迫感に現実味を与えているのが、この時期のMitch自身の生活感の変化だ。彼は娘の存在が自分を地に足のついた状態へ戻してくれたこと、自分が毎朝起きる理由そのものになったことを語っている。Wake Upをそのまま私生活の告白として読む必要はない。だが、以前より生活や責任を背負った人間が書いた言葉だからこそ、この曲の「目を覚ませ」は空虚なショック表現にならない。現実から落ちかけた相手を、無理やりでもこちら側へ引き戻そうとする必死な言葉として聴こえる。そこに、この時期のMitchの深さがある。
演奏面でも、Wake Upはその主題ときれいに噛み合っている。ギターは細かい装飾で広げるのではなく、刻みの圧で前へ前へと押し続ける。リフの反復は、歌詞の「Wake up」の反復と同じ方向を向いていて、聴き手に考える余白を与えずに押し込んでくる。Daniel KennyのベースとAlex Lopezのドラムも、ただ低くて重いだけではない。一定の圧をかけ続けながら、意識を揺さぶるような推進力を作っている。曲がシンプルに聴こえるのは、要素が少ないからではなく、必要な動きだけを残して主題に集中しているからだ。だからWake Upは中毒性が強い。Mitchの声、ギターの刻み、リズム隊の圧が全部「引き戻す」という一点に向かっているからである。
そして、この曲を今あらためて読む意味もそこにある。Wake Upは、後年になって「ミッチがいた頃の名曲」として懐かしむだけの曲ではない。2009年のSuicide Silenceが、自分たちをどう定義し直そうとしていたのか。Mitch Luckerが、どういう温度で言葉を書き、どういう立場でバンドの前に立っていたのか。その両方がいちばん分かりやすく刻まれている曲の一つがWake Upだ。錯乱、覚醒、現実への引き戻しという歌詞の主題だけではない。ジャンルの箱の外へ出ようとする意志、2作目で自分たちの音を押し広げようとする自信、そしてMitchがボーカリストとして一段前に出た時期の空気まで、この曲には入っている。Wake Upが今も強く響くのは、単にかっこいいからではない。そのかっこよさの芯に、2009年のSuicide SilenceとMitch Luckerの転換点が、そのまま残っているからだ。
Wake Up





