コーンミルズ (現在はコーンデニム)は元々、「チェック柄の信頼」と呼ばれたフランネル製品を中心としたテキスタイルのサプライヤーでした。
しかし創設者のモーゼス・ハーマン・コーンは実業家としての活動だけではなく、博愛主義者で自然保護活動家としての一面もあり、自然環境で暮らすハイカントリーの人々にとって、丈夫で耐久性のある衣類が必要だと感じ、1896年頃から本格的にデニムに力を入れ始めて、現在に至るまでその名前を残しています。
そして現在でもリーバイスを筆頭とする数多くのブランドにデニム生地を提供している会社コーンミルズのデニム工場の中でも特に有名となったのが私達がよく耳にするノースカロライナ州グリーンズボロにあるホワイトオーク工場です。
そのホワイトオーク工場で生産されたインディゴブルーのセルビッジデニムはクオリティが非常に高くて有名になったそうなのですが、そのクオリティとは一体何なのでしょうか??
コーンミルズ社のホワイトオーク工場で製織されるデニムの特徴
ホワイトオークのデニムはライトハンドツイルに機能的な特徴があります。生地を3x1の綾織り(ツイル)にしていく際に、左撚りの単糸を使用して、縦糸1本が横糸3本の上を通過後に1本の下を潜ることを繰り返して織られていく為、ライトハンドツイルの場合、左下から右斜め上に向かって繊維の表情が表れます。製品になることで、この表情とは逆向きの左撚りの単糸自体が水分を含むと膨張するコットンの性質から、洗うと伸びて乾くと左巻きに捻れて縮む特徴が生まれます。この特徴をコーンミルズ(コーンミルズという社名はコーン兄弟が亡くなったもっと後に改名される )の創設者モーゼス・ハーマン・コーンは発見してジーンズに採用したのでした。その生地の評判を聞いたリーバイスが501XXの専用生地に採用して「Shrink To Fit」のキャッチフレーズで世界規模で広まっていき、現在でもその革命的なテキスタイルのニーズは絶えることなく提供し続けられています。デニムには耳付きと、耳なしがありますがそれは一体何故でしょうか??
ホワイトオーク工場のデニムがセルビッジだった理由
ホワイトオークのデニムにはセルビッジと言われる製織りされた生地の両端がほつれないようにコットンテープが縫い付けられていましたが、これは当時の織り機の性能に大きく関係しています。昔の製織機は、現在の物に比べて動力の面で格段に弱かった為、製織された生地は解れやすかった事から導入されていました。その事からも解るように、現在の最新型製織機を使えばセルビッジは必要なくて、目の詰まった強度の高いものができてしまい解れは解消されてしまいます。しかし現在でもコーンミルズは、セルビッジデニムを作るためにアメリカのすでに倒産してしまったドレイパー社Xシリーズの3代目にあたるフライシャトル製織機を使用しています。
このドレイパーX3がグリーンズボロにあるホワイトオーク工場の最高峰と呼ばれたデニムを生み出した名機だった事もあって、最高の時代のデニムを再現するのに必要不可欠な”ドレイパーX3”と”木製の床”とのベストな環境を含めた施設の維持を行っています。
確かに現在の技術の方が格段に上っていることは紛れもない事実ですが、デニムというオンリーワンに対する追求はとても複雑で難しく、最高の色落ちや過去のパーツを求める場合には、単に強度があるだけでは片付けられなくなるのですね。そんな理由からかつて「キングオブデニム」の称号を縦にしたコーンミルズは歴史的伝統を守り、考えていく道を歩み続けています。
セルビッジはコーンミルズが当時の欠点をカバーしたアイデアであり、その欠点をカバーする必要がなくなった現在では機能としてではなくて、歴史的証拠として存在している訳ですね。
セルビッジデニムの色落ち
コーンミルズのホワイトオークで作られるセルビッジデニムの色落ちは、ライトハンドツイルの「Shrink To Fit」の機能性と深く関係しています。
縮んで伸びる特徴からも解るように糸のネジレた方向に向かって製品自体もネジレていくので、洗うことを繰り返すことで少しづつ糸と糸が擦れ合う部分から色落ちしていきます。
バックポケットに財布や厚みのある何かを入れていて、その形に色落ちが発生した経験は多いと思うのですが、実際に厚みがある物やポケット内で窮屈に感じる物を継続的に入れていることで生地が引っ張られて伸びているんですね。
その引っ張られて伸びた部分が汗を掻いたり洗濯することで引っ張られたり縮んだりして擦れあった部分から色落ちする、そのことはライトハンドツイルの特徴でありコーンミルズオリジナルな色の落ち方です。なのでサイズや生活環境にも影響する為、単純にセルビッジデニムが色落ちが良いとは限りません。
ジッパーフライのデニムに関してはジッパーの位置が歪んでくる為、防縮加工された物が基本とされていて違った色落ちになります。
レフトハンドツイルは、左撚りの単糸を使用した場合に左上から右下に向かって生地の表情が現れるので、左撚りの単糸は左綾の生地の表情と同じ方向に捻れて反発した力の加わらない分締まってレフトハンドツイルの表情が立ち、洗っても伸び縮みしにくくアタリが強くなってはっきりと縦向きに色落ちしていきます。
ブロークンツイルなどはネジレ防止のためにブロークンポイントといわれる綾目の切り返しの部分を作って逆向きにするという方法で両方の綾目が入っていて違う色落ちが楽しめます。
裾の部分のユニオンスペシャルで縫われるチェーンステッチやシングルステッチ等の違いでも色落ちは違って影響していきます。
こういった事から、自分好みでかっこいい色落ちをさせるにはリジッド(生デニム)が大前提で育てていく為に時間をかけることも必要になってくるんですね。
現在でも続くリーバイスとの関係とは?
金属製の部品を使用して補強した衣類の特許を申請したジーンズの原型を考案したのは、仕立て屋のヤコブ・コーエンであってリーバイ・ストラウス自身ではないですが、その発明をビジネスに発展させてサンフランシスコの金鉱脈が見つかったゴールドラッシュの時代に突入していった過程でリーバイスは間違いなくジーンズのパイオニアだったと思います。
何故、そんなリーバイスがコーンミルズを信頼して独占的に501XXデニムを生産することに踏み切ったのか?
もちろん、サプライヤーとしての企業の能力や品質の良かったデニムそのものが理由だと思うんですが、個人的にはコーン兄弟とリーバイ・ストラウスにはお互い一つの共通する想いがあったからこそ実現したんだと思います。
それは当時、製品自体のクオリティが低くニーズとは全く関係のない、供給するために必要な十分に整った施設も無いという時代の現状を少しでも変えていき、確かな物づくりを目指すという目的です。お互い起業家としてそれを追求する姿勢は類を抜いた存在同士でしたが、その点で見事に合致したことが、1915年に締結された半永久的な紳士協定「The Golden Handshake」に繋がっていったのだと思われます。
その理由は、モーゼスとシーザーのコーン兄弟が生涯の間で世の中で求められた物事をたくさん足していった人生の歴史が物語っているからです。
彼らの歴史の中では、コーンミルズのホワイトオークの工場の存在は大きいものだったと思いますが、コーンミルズの前身「プロミキシティ・マニュファクチャリング・カンパニー」の中の一部に過ぎません。
ノースカロライナのグリーンズボロにあったコーン兄弟の工場は次第に数を増やし、互いに近接していくことで発展した一つの街になりました。働く人達が生活する為に必要な施設である学校、病院、公園、売店、住宅、教会、コミュニティセンターなどピーク時には450エーカー(1.8平方キロメートル)の規模まで拡大して2675人もの労働者を収容して、コーンミルズ村と呼ばれて発展しました。
そんな歴史からも解るように、当時まだまだ意識の低かったニーズに対しての追求や考え方が、1世紀以上にも及ぶお互いの関係を築くきっかけとなったのだと思います。
まとめ
簡単にコーンミルズやホワイトオークの名前、セルビッジデニムについて触れてきましたが、モーゼスとシーザーのコーン兄弟の物語があったからこそ、現存する貴重な歴史的証拠として語り続けられてきたのだと思います。これからも現在コーンデニムを所有するインターナショナルテキスタイルグループと共にその名前を後世に残していって欲しいと願っています♪
日本語字幕は無いですが、現在のホワイトオーク工場の雰囲気などが見られますのでよかったらどうぞ♪