BULLDOZE「NOTHING BUT A BEATDOWN」Lyrics 歌詞和訳 それはただのビートダウンにすぎない!

ハードコア音楽シーンにおけるDAH CREW

結成と活動地域

DAH Crew(“Drink As Hard Crew”の略称)は、1990年代のハードコア・パンクシーンで活動したクルーです。名称が示す通り「とことん酒を飲め」というスラング的な意味合いを持ち、ストレートエッジ(禁酒禁ドラッグ主義)とは対極の酒豪集団的スタンスを取っていたと推測されます​。その活動拠点は主にニューヨーク~ニュージャージー周辺です。特にニュージャージー州アーヴィングトン出身のビートダウン・ハードコアバンド BULLDOZE(ブルドーズ)と深く関わっており、BULLDOZEは1992年にNJ州アーヴィングトンで結成されています​。BULLDOZEの楽曲中でDAH Crewの名が叫ばれていることから、ニューヨーク・ハードコア(NYHC)シーンおよびニュージャージーHCシーンに根差したクルーであることがわかります。BULLDOZEはニューヨークのシーンでも活動しており、実際ニューヨークHCの文脈でDMSクルー(後述)などと並んでDAH Crewの存在が確認できます​

所属アーティスト・メンバー

DAH Crewの中心メンバーとして具体的な名簿が残っているわけではありませんが、BULLDOZEのメンバー(ボーカルのKevone〈ケヴワン〉ことKevin Ceaら)とその仲間たちによるクルーだったと考えられます。BULLDOZE自身が代表曲「Nothing But A Beatdown(ナッシング・バット・ア・ビートダウン)」の歌詞中で「DMS Beatdown」「DAH Crew Beatdown」と、自ら属するクルーとして言及していることがその根拠です​。この曲の中で「俺と俺のクルーに敬意を示せ。さもないとお前の最期の日が来るぞ」といった過激な歌詞が登場し、クルーの威圧的な存在感が強調されています​。BULLDOZEを取り巻く仲間内(いわゆるNJHC=ニュージャージー・ハードコアの仲間グループ)がDAH Crewと称された可能性が高く、メンバーはBULLDOZEの面々および彼らと行動を共にしていた地元ハードコア仲間だったと推測されます。

他の具体的な所属バンドとして公式記録が残るものは少ないものの、同時期にニュージャージー~ニューヨークで活動したハードコア・バンドとは互いに影響し合う関係にありました。例えばニューヨークHCの代表格であるMadballSkarheadなどとはライブやイベントを通じて接点があり、シーン全体でクルー文化を共有していたようです​(DMSクルーを介して間接的につながりがあったと考えられます)。またニュージャージーの同世代バンドとしては、ビートダウンHCシーンの後続であるE.Town ConcreteFury of Fiveなども挙げられます。彼らは2000年前後にNJHCシーンの看板的存在となりましたが​、DAH Crewとの直接の関係は定かではありません(少なくとも公式にはDAH Crewの一部とはされていません)。要するに、DAH CrewはBULLDOZEを核としたローカル・クルーであり、当時その周囲にいたハードコア仲間たち(バンドマンや友人達)がメンバーだったと思われます。

DMSクルーとの関係・ルーツ

DAH Crewを語る上で欠かせないのが、同時期に存在した伝説的クルーDMSとの関係性です。DMSDoc Marten Skinheadsの略)は1980年代後半のNYHC黎明期に結成されたクルーで、NYハードコアにギャング的要素を持ち込んだ中心的存在でした​。BULLDOZEはそのDMSクルーとも交流が深く、実際にDMSのメンバーの中からBULLDOZEやMadball、Skarheadといったバンドが生まれていった経緯があります​。DMSクルーが培った「クルーの兄弟愛や時に犯罪的な武勇伝」を歌詞に織り込むスタイルは、ビートダウン・ハードコアのリリックにも大きな影響を与えました​。BULLDOZEもそうした流れを汲み、クルー(仲間)への忠誠や敵対者への報復といったテーマを前面に出した曲を展開しています​

BULLDOZEの代表曲「Nothing But A Beatdown」冒頭で「DMSビートダウン」「DAH Crewビートダウン」と両クルーの名を叫ぶ箇所は、まさにDMSとDAHそれぞれへのリスペクトと結束を示したものです​。このことからDAH CrewはDMSクルーと同じシーンにおける同志的存在であり、一種の盟友関係にあったと考えられます。もっともDMSがニューヨーク・クイーンズを拠点に多数の著名バンド(AGNOSTIC FRONTやMadball等)を擁した大規模クルーだったのに対し、DAH Crewはそのニュージャージー近郊版ともいうべきローカル色の強いクルーでした。クルー文化が90年代に各地へ拡散していく中で、テキサスのGAMC(Grown Ass Man Crew)、デトロイトのCTYC(Colder Than You Crew)、クイーンズNYのIDS(Instant Death Squad)、フィラデルフィアのBFL(Brothers For Life)等と並び、DAH Crewもニューヨーク圏の一クルーとして存在感を示したものと思われます​。DMSがそうしたクルー拡散の源流模範であったことは確かであり、DAHもDMSから影響を受けつつ独自のスタイル(酒飲み気質)を打ち出したクルーだったと位置付けられるでしょう。

DAH Crewの活動歴

DAH Crewの活動期間は、おおむね1990年代半ばに集中していたとみられます。BULLDOZEが1992年に結成され1996年に一度解散していることから​、その初活動期(92~96年)の周辺でDAH Crewも最も活発だったと推測できます。実際、BULLDOZEが1996年に発表したEP『The Final Beatdown』や収録曲「Beatdown」は、ビートダウン・ハードコアというジャンル名称を決定づけるほどのインパクトを残しました​。この作品の中でDAH Crewへの言及があることは前述の通りで、1990年代半ばには既にDAH Crewの名がシーンに認知されていたことがわかります​

具体的な活動内容としては、ライブ会場での集団的なモッシュやステージへの参加、他のクルーやバンドとの交流などが中心だったと思われます。BULLDOZEは過激なライブで知られ、暴力的なモッシュやクルー同士の小競り合いもしばしば起きていました。例えばニューヨークで行われたBULLDOZE結成20周年記念ショウ(2010年代)では、往年のメンバーも若いキッズも入り混じり命懸けのモッシュが展開し、「20年間何も変わっていない」という狂乱ぶりだったと伝えられています​。このイベント自体はDMS系の主催(Lord Ezecの企画)でしたが、当日はSKARHEADなども出演しDMSの集会のような様相だったと報告されています​。当時DAH Crewとしての活動が続いていたわけではありませんが、90年代当時に築いたハードコア・クルー文化がそのまま受け継がれ、こうしたライブの空気感にも影響を及ぼしていたことが伺えます。

DAH Crewそのものの主催イベントやZine制作などの記録は見当たりません。あくまで仲間内クルーとしてライブ現場で行動を共にすることが主な活動で、公式な組織的展開はなかった可能性が高いです。90年代当時、多くのハードコア・クルーは地域の友人グループ的な性格が強く、大学進学や就職に伴い自然消滅していったといわれます​。DAH Crewも同様に、90年代後半には目立った動きが聞かれなくなり、その名はシーンの一部歴史として語られる存在となりました。BULLDOZE解散以降、メンバーは別バンド(例えばHomicidalやTrain of Thought、Agents of Manなど)で活動を続けましたが、DAH Crewとして表立った活動が継続された形跡はありません。

シーンからの評価・象徴性

DAH Crewの評価や象徴性については、DMSやFSUのように広く悪名高かったクルーではないため一般的な知名度は高くありません。しかしハードコア・シーン内部では、その名は90年代ビートダウン・ハードコア黎明期の象徴の一つとして語られます。BULLDOZEはビートダウンHCというスタイルを切り開いたバンドであり、その1996年作『The Final Beatdown』はジャンル名の由来にもなりました​。同作に収録された「Nothing But A Beatdown」はビートダウン・ハードコアのアンセム的楽曲で、クルー文化を体現する歌詞によってシーンに衝撃を与えました​。この曲で言及されるDAH Crewの存在は、当時のハードコア・キッズにとって「俺たちのクルー」を誇示する精神そのものであり、ストレートエッジとは逆方向の「飲んで暴れる」タフガイ・ハードコア精神を象徴していたと言えます。

もっと平たく言えば、DAH CrewはNY/NJハードコアシーンにおける裏方的な伝説です。表立ったメディア露出こそ少なかったものの、BULLDOZEのようなバンドを通じてその名前はシーンに刻まれました。ファンから見れば、DAH Crewは「知る人ぞ知るクルー」であり、その存在自体が当時の熱狂的なライブとモッシュの記憶と結びついて語られます。実際、ハードコア愛好家の間では「BULLDOZEと言えばあのDAH Crewビートダウンのフレーズだよな」といった形で懐古されることもあります。

一方で前述のようにDMSやFSUほど組織だった活動やスキャンダラスなエピソードが残っていないため、伝説化・神格化という点では控えめです。多くの90年代クルー同様に、DAH Crewもメンバーの成長とともにフェードアウトしていったため、その評価は**「一時代を盛り上げたローカル仲間グループ」といった位置付けに落ち着いています​。しかし、ハードコア史的に見ればBULLDOZEが築いたビートダウンの文化、すなわちクルーの名を掲げて音楽とライフスタイルを貫く姿勢**を語る上で、DAH Crewは欠かせないピースとなっています。当時のシーンを象徴するタフガイ精神の一端を担ったクルーとして、現在でもコアなファンにはその名が語り継がれているのです。

NOTHING BUT A BEATDOWN

It’s nothing but a beatdown…

それはただのビートダウンにすぎない…

My eyes are red, filled with fire

俺の目は赤く、怒りで満ちている

My heart beats fast, the blood runs higher

俺の心臓は早く打ち、血は勢いよく駆け巡る

My fists are clenched, filled with desire

俺の拳は握りしめられ、欲望で満ちている

 

You’re in the wrong game with the worst type of player

おまえは間違ったゲームに、最悪なタイプのプレイヤーと一緒にいる

So put up what you got

だから、おまえの持ってるもんを出してみろ

Or sit the fuck down

さもなきゃ、てめぇは黙って座ってろ

Otherwise you’ll catch a Bulldoze Beatdown

さもなければ、お前はBULLDOZE式のビートダウンを喰らうことになるぞ

BEATDOWN nothing but a BEATDOWN

ビートダウン、それ以外の何物でもないビートダウン

BEATDOWN nothing but a DMS BEATDOWN 

ビートダウン、それ以外の何物でもないDMSビートダウン

BEATDOWN nothing but a BEATDOWN 

ビートダウン、それ以外の何物でもないビートダウン

BEATDOWN nothing but a DAH CREW

ビートダウン、それ以外にはない、“DAH CREW”の一撃だ

 

You think you’re hard

おまえ、自分が“強い”と思ってんのか?

You and your crew

おまえとおまえのクルー

So now it’s time to see if you’re true

さあ今こそ、お前が本物かどうかを見る時だ

So show some respect to me and my crew

だから、俺と俺のクルーに敬意を示せ

Otherwise, your days are through

さもなければ、おまえの人生は終わりだ